言語化することとしないこと

明けましておめでとうございます。

自己紹介

毎度書いてますが自己紹介です。 私は、ITエンジニアを9年?くらいしています。(あんまりきちんと測ってないので自己紹介により年数が変わります) 元々はSEをしていて1年半くらい前にWebエンジニアに転職しました。 メンタルヘルスに持病があり、鬱気質というか、自己肯定感が低いのとあいまって自暴自棄になりやすいところがあります。

この記事を書こうと思った経緯

私は元々、人に辛いことなどを話さない人間でした。 ただWebのブログとかネットで交流して勉強会をする方々に憧れていたので、Webへの転職をするにあたりX(Twitter) を始めました。

初めは、勉強の積み上げを書いていたのですが、次第に愚痴だけになりました。 初めは非公開の鍵垢で書き、次第には公開で愚痴や今思えば酷い言葉を書いてきました。

言語化することと軽くなった言葉

言語化するのはいいことだと聞きます。 「自分の言葉を言語化しましょう」とは、よく聞きます。

「何か辛いことがあると紙に不満を言語化しましょう」もよく聞きます。

私はX(Twitter) に愚痴を書いて、何かすっとした気持ちもありました。 でも次第にそれは呟きだけにすまされず、職場の人と話している時もきつい言葉や相手が困るような泣き言をいうようになりました。

気持ちを言葉にするのはいいことです。でも、自分は果たしてありのままの泣き言ばかり言っている自分になりたかったのか。 言葉に出す。誰かわからない人に伝わるにしろ、誰かに言葉が伝わる。自分にとって何かを発することがすごく気軽なものになっていると思いました。

言葉にする重み

私には、私が思春期の時に引きこもっていた家族がいました。 当時その人と話ができたのは私だけでした。 私はずっと言葉を選んできました。自分の言葉一つで傷つく人がいる。外界と接触のない状態で自分の言葉がどういう重みを持っているのか考えて接していました。

私はX(Twitter) に愚痴を書いてて、多分私が気持ちを言葉にできるようになったのはいいことなんだと思います。 でも自分の言葉の重み、誰かに与える影響を考えられない人間にはなりたくないと思いました。

人は何を持っているのかわかりません。職場で接している人が普通の顔をして、辛いことがあるかもしれません。 言葉一つで誰かに影響を与えられる。それを忘れるのは違う気がしました。 X(Twitter) の愚痴は可能な限り消して、愚痴を呟くのはやめました。

言葉にしたい気持ちと言葉にしたくない気持ち

気持ちは言葉にしなければ、自分でも持っているかわからない不確かな何だかわからない気持ちです。 不満を言葉にしてばかりいれば不満だけが形になり、不満だけが自分の中に積み立てられ残っていきます。

不満は可能なら形にしないで忘れたい、見過ごして流していきたいと思いました。

楽しいことは残したいのですが、ただ言葉にはしたくない思いがあります。どう伝わるかわからない陳腐な形にはしたくない思いがあります。

私なりの表し方で

私がITエンジニアになったのは(自分や人が)想像したものが形になるのが楽しいからです。 想像が形になるのが好きです。

なので言葉ではない、何か別の形にしてみたいと思いました。

昔好きだった絵でも書こうかとか、私なりの気持ちの表し方を探そうと思います。 最初はうまくいかないと思いますが、もう若くはないですが、少しずつ少しずつやっていこと思います。 なので、今年は少し色々なことをして趣味を作ろうかと思いました。

色々、生きていて後悔すること、恥ずかしいことも山ほどありますが、試行錯誤して生きていこうと思います。

少しまとまってませんが、 読んでいただき、ありがとうございます。 皆様にとって本年が良い年であることを願っております。