言わなければならない世の中と私の思い

経緯(自己紹介)

私には持病があります。メンタルヘルスの持病で、10年くらい療養のため離職してました。 寛解はあるかもしれないのだけど、まあ何を寛解というかお医者さんによって違う程度で、多分この先何年も定期的に通院に通い、日々投薬が必要です。 それ自体は、私は喘息も持っているので、今はメンタルヘルスの持病も大分回復してきて、通院に通えばいい程度なので、悲観はしていません。

ただ、転職活動をする際には、「健康ですか?」のアンケートに丸はつけれなかったり、日常の人間関係のちょっとしたトラブルなどで持病の症状が出て、勤務が難しい場合はあります。

メンタルヘルスの病気の人のトラブル、健常者からの問いかけ

最近、トラブルがありました。本業と副業をしているのですが、本業の方のちょっとした人間関係のトラブルで状態が悪く、本業もそうですが、副業も勤務できなくなりました。 今お休みをいただいてます。

それについて、副業の上司からやはり副業の方は接客業なので、時間に勤務してもらわないと困るし、突発的に今回症状が悪化したので、こういう休みは困ると言われました。 そして「次こういうことがあったら、契約を続けるのは難しいです。ただ、あなたが病気を良くするためにこれを努力しています、と説明できれば考慮できます」と言われました。最大限考えていただいた言葉なんだと思っています。

ただ、今の仕事に着く前の転職活動の時も相談に乗っていただいていたメンターの方にこう言われました。 「面接官はあなたの病気の詳細を知らないので、どういう病気か説明して、自分の考慮してもらうことをリスト化して、その上であなたをとることにどういうメリットがあるのか自身で説明しなければならない」。 メンターの人はメンタルヘルスの病気に理解がある優しい人だと思っています。

私は1つ前の記事にも書きましたが、思春期の頃引きこもった兄弟の面倒を見ていました。 自身がメンタルヘルスの病気になって、ワークシップなどで同じメンタルヘルスの病気の人と接することもありました。 また、病気になる前も、ITエンジニアをしていましたので、ITに携わってたら、メンタルヘルス的に落ちてしまう人、病んでしまう人はよくいるのでそう言う人と接することもありました。

私は、上であげた副業の上司も、メンターの人も優しい、色々考えてくれている人だとは思います。 ただ、もし自分が病気でなく、他の病気の人に何か言う時、自分は同じことを言うだろうか?と考えます。

私が思うこと(私がもし問いかける方であるなら)

(療養真っ最中の人でなく、医師に働けるといわれ仕事を探している人、仕事をしている人の話です)

2つの問いかけに共通しているのは、「病気がある、でもその上であなたの努力、あなたの利点が必要です」です。 これは、どういう理由があるにせよ、「病気である」というのが、一つのマイナス要素だと捉えられると思っています。 病気がマイナスである事実、それは病気のある本人が一番苦悩して、一番悲しんでることです。時にはまだ受け入れられていないことです。病気に費やした時間も本人の中でどうあっても肯定はできない、第三者には認められないと感じているものです。

それを突きつけられるか?やはりそこが躊躇します。 言ってる人はマイナスと言ってる気はないかもしませんが、病気のない人には聞かないことです。「あなたの事情を説明して、あなたがどう努力して改善しているか説明してください」はやはり、「病気はマイナス」と捉えてると聞く方は感じてしまうかもしれません。

私が今までメンタルヘルス的に落ちてしまっている人と接してきて思ったのは、そういう人に必要なのは「安心」と「安定」だと思っています。 なるべく安定した親身になりすぎない冷静な対応で、「1割の親切、3割の本人がしたいこと成長の試行錯誤をバックアップする気持ち、他は本人に任せる」だと思っています。

本人の意思を尊重する、本人の考え方を肯定することが大事だと思っています。 そういう人は結構真面目で頑張ってる人が多いので、本人を肯定して、安心して休める感じの雰囲気にすれば、あとは自分で試行錯誤しながら解決してくれると思っています。

今、頑張っている人に、「あなたが努力しないといられない環境」です、と突きつけるか。そこが迷います。

蛇足:正直自分が何かできるかと言うと、何もできなくて、完全に落ちてしまった人を前には、話を聞いて、とりあえず会ったからには一回は笑わせたいと、どうでもいいことをあれこれ言ってみてた記憶しかありません。

言わなければならないのはなぜなのか

私は、上であげた副業の上司も、メンターの人も優しいと感じています。 ただ、「仕事」と考えた時、「自分以外の人にも納得させられるよう合理的な理由が必要だ」と考える方かとは思っています。

「合理的」、社会は何を「合理」と考えるのでしょうか? 弱い人や家庭環境などでハンデキャップがあると、通常の仕事がこなせると医師や第三者に判断されても、取ることは難しいでしょうか?

「ビジネスの場」なので、個々の人の事情に優しくすることはできないでしょうか? 会社の経営を考えると、少しでも不安要素のある人は避けたいでしょうか?

多分、仕事をする上で説明しなければならないことではあると思っています。 でも色々な聞き方や接し方ができると思っています。 それは「感情的なこと」「無駄なこと」でしょうか?

「少しでも優秀な人を取りたい」その想いで、人々が淘汰されているだけのことなんでしょうか?

まだ答えも出ず、私は悩むことが多いです。

まとめ(私は今の状況をどうするか)

正直、いつも迷いながら生きてます。

今は、もし副業がまた病気が悪くなり契約が難しくなった場合、「私が病気を改善するためにしてる努力」をプレゼンテーションみたいに何かビジネス的に説明するのは避けたいと思っています。 正直、努力というかいつも頑張ってはいるのですが、「メンタルヘルスの病気は努力すれば良くなるのか、努力すれば安定するのか」というと、答えられない話で、ここを問われても、自分でここを突き詰めて考え行動するのは体調を悪化させ得策でないと感じています。 今回の副業の話は接客業なので、正直勤務契約上、もしうまくいかない結果になっても仕方ないのだろうと思っています。

私の考えは、私の目を通して、私の頭で考えています。 もしかしたら、社会は私の思ってるものではないかも知れません。人は私の思ってるような人ではないかも知れません。

人は誰しも未完成です。生きていく中で変わっていきます。

今は、ただそれぞれの人に接してみようと思います。人を変えようではなく、ただ自分の気持ちを言って、接してみようと思います。 不快に感じられたり、何も感じないかも知れませんが、もしかしたら、その人達に響くことがあるかもしれません。ただ、多分それは私は知らないと思います。10年後20年後かも知れません。

人に切り捨てられたら、普通にショックを受けると思います。ただ、自分の心を狭くしたり、自分を追い詰める努力をするよりは、上下があったり不安定になっても私は私の考えで自分らしく生きたいと思います。

ただ、そこまですぐ体調の上下が起きないよう、規則正しく身体的に安定した生活を心がけ、人を過剰には心に入れ過ぎない距離を置いてちゃんと線引きをしようと思いました。

間違っているかも知れない、偏屈になっているかも知れない、私の気持ちです。 読んでいただいてありがとうございます。