「障害者」になろうとする気持ち

お久しぶりです。

自己紹介

毎度書いてますが、自己紹介です。 エンジニアをしています。今は、無職です。本業も副業もやめました。
システムエンジニアの経験が7年くらい、Webエンジニアの経験が1年半あります。
メンタルヘルスに持病を持っています。

無職になった経緯

6年だったか病気療養で離職し、必死に勉強しWebエンジニアになりましたが、本業も副業も辞めてしまいました。
辞めた理由は、メンタルヘルスの持病による体調の不安定さで勤務時間を満たせず、金銭的に困窮した状態が1年ほど続き、解決できる目処が立たないこと。
エンジニアは厳しい言葉や態度をする人も多く、そう言った物事にたびたび心身が影響を受け不安定になり、精神的に潰れてしまったことが理由です。

結局、「仕事」の二文字をスケジュールに書くのも泣き出すようになり退職しました。

「障害者」となるか?

辞めるか辞めないか決められず、休職をしている時、主治医に「障害者雇用」の話を受けました。

私は、多分普通に何も知らずにあった人に、病気を持ってるとは思われない人間です。
勝手な自負かもしれませんが、多分仕事も前職で人の3分の1くらいの時間しか勤務できませんでしたが、仕事も経験年数に見合う成果をそれなりにはできていたと思います。
ただ、勤務時間が少なければお金は入りません。

また、エンジニアはただ今の自分の出来ることだけやれば周りが納得してくれる職業ではありません。
勤務時間外に勉強することを求められる、常に次のステップの成長を求められる仕事が振られます。
そして、どこの現場でも比較的厳しい言葉がかけられることも多いです。
意見を全く聞いてもらえないこと、不条理に否定されることもあり、その全てをコミュニケーション力と求められ、自分でうまく交渉や処世術で乗り切ることが求められます。

私は病気を抱えて、1年半エンジニアをして、正直もう疲れましたし、今後お金の問題や体調の問題、いろんな問題をクリアして仕事をしていく方法がいくら考えても、全く浮かばない状態でした。

「障害者」となり「障害者雇用」になることで、解決するのであれば、もうそれに賭けるしか思い浮かびませんでした。

今の思い

今、いろいろ手続きを進めているところです。
正直、どうなるかわかりません。
申請が認められないかもしれません。
申請が認められても、人から偏見の目で見られるかもしれません。
人から偏見の目で見られなくても、健常者と障害者の線引きをされ、もう自分の思う働き方やキャリアはできないかもしれません。

ただ、もう方法が浮かびません。
障害者とならず、病気をオープンで就職活動をした時、1番返ってきた結果は「受け入れる体制が整えられないため、残念ながら」の不採用です。

それも「障害者」となったら変わるのか。
不安は尽きずありますが、今は何も先のことを考えず、ただ淡々と手続きを進めようとしています。
どう生きればいいのかわからず。解決方法が浮かばないことが、とても悲しいです。
私がもっともっと頑張れば違う選択があるのか。
他の人ならもっと頑張れることなのか。
いろんなことが分からず、立ち止まってこれでいいのか考えて。
ただ、いく先に少しでも働きやすくなる未来があることを祈っています。

読んでいただきありがとうございます。

言語化することとしないこと

明けましておめでとうございます。

自己紹介

毎度書いてますが自己紹介です。 私は、ITエンジニアを9年?くらいしています。(あんまりきちんと測ってないので自己紹介により年数が変わります) 元々はSEをしていて1年半くらい前にWebエンジニアに転職しました。 メンタルヘルスに持病があり、鬱気質というか、自己肯定感が低いのとあいまって自暴自棄になりやすいところがあります。

この記事を書こうと思った経緯

私は元々、人に辛いことなどを話さない人間でした。 ただWebのブログとかネットで交流して勉強会をする方々に憧れていたので、Webへの転職をするにあたりX(Twitter) を始めました。

初めは、勉強の積み上げを書いていたのですが、次第に愚痴だけになりました。 初めは非公開の鍵垢で書き、次第には公開で愚痴や今思えば酷い言葉を書いてきました。

言語化することと軽くなった言葉

言語化するのはいいことだと聞きます。 「自分の言葉を言語化しましょう」とは、よく聞きます。

「何か辛いことがあると紙に不満を言語化しましょう」もよく聞きます。

私はX(Twitter) に愚痴を書いて、何かすっとした気持ちもありました。 でも次第にそれは呟きだけにすまされず、職場の人と話している時もきつい言葉や相手が困るような泣き言をいうようになりました。

気持ちを言葉にするのはいいことです。でも、自分は果たしてありのままの泣き言ばかり言っている自分になりたかったのか。 言葉に出す。誰かわからない人に伝わるにしろ、誰かに言葉が伝わる。自分にとって何かを発することがすごく気軽なものになっていると思いました。

言葉にする重み

私には、私が思春期の時に引きこもっていた家族がいました。 当時その人と話ができたのは私だけでした。 私はずっと言葉を選んできました。自分の言葉一つで傷つく人がいる。外界と接触のない状態で自分の言葉がどういう重みを持っているのか考えて接していました。

私はX(Twitter) に愚痴を書いてて、多分私が気持ちを言葉にできるようになったのはいいことなんだと思います。 でも自分の言葉の重み、誰かに与える影響を考えられない人間にはなりたくないと思いました。

人は何を持っているのかわかりません。職場で接している人が普通の顔をして、辛いことがあるかもしれません。 言葉一つで誰かに影響を与えられる。それを忘れるのは違う気がしました。 X(Twitter) の愚痴は可能な限り消して、愚痴を呟くのはやめました。

言葉にしたい気持ちと言葉にしたくない気持ち

気持ちは言葉にしなければ、自分でも持っているかわからない不確かな何だかわからない気持ちです。 不満を言葉にしてばかりいれば不満だけが形になり、不満だけが自分の中に積み立てられ残っていきます。

不満は可能なら形にしないで忘れたい、見過ごして流していきたいと思いました。

楽しいことは残したいのですが、ただ言葉にはしたくない思いがあります。どう伝わるかわからない陳腐な形にはしたくない思いがあります。

私なりの表し方で

私がITエンジニアになったのは(自分や人が)想像したものが形になるのが楽しいからです。 想像が形になるのが好きです。

なので言葉ではない、何か別の形にしてみたいと思いました。

昔好きだった絵でも書こうかとか、私なりの気持ちの表し方を探そうと思います。 最初はうまくいかないと思いますが、もう若くはないですが、少しずつ少しずつやっていこと思います。 なので、今年は少し色々なことをして趣味を作ろうかと思いました。

色々、生きていて後悔すること、恥ずかしいことも山ほどありますが、試行錯誤して生きていこうと思います。

少しまとまってませんが、 読んでいただき、ありがとうございます。 皆様にとって本年が良い年であることを願っております。

言わなければならない世の中と私の思い

経緯(自己紹介)

私には持病があります。メンタルヘルスの持病で、10年くらい療養のため離職してました。 寛解はあるかもしれないのだけど、まあ何を寛解というかお医者さんによって違う程度で、多分この先何年も定期的に通院に通い、日々投薬が必要です。 それ自体は、私は喘息も持っているので、今はメンタルヘルスの持病も大分回復してきて、通院に通えばいい程度なので、悲観はしていません。

ただ、転職活動をする際には、「健康ですか?」のアンケートに丸はつけれなかったり、日常の人間関係のちょっとしたトラブルなどで持病の症状が出て、勤務が難しい場合はあります。

メンタルヘルスの病気の人のトラブル、健常者からの問いかけ

最近、トラブルがありました。本業と副業をしているのですが、本業の方のちょっとした人間関係のトラブルで状態が悪く、本業もそうですが、副業も勤務できなくなりました。 今お休みをいただいてます。

それについて、副業の上司からやはり副業の方は接客業なので、時間に勤務してもらわないと困るし、突発的に今回症状が悪化したので、こういう休みは困ると言われました。 そして「次こういうことがあったら、契約を続けるのは難しいです。ただ、あなたが病気を良くするためにこれを努力しています、と説明できれば考慮できます」と言われました。最大限考えていただいた言葉なんだと思っています。

ただ、今の仕事に着く前の転職活動の時も相談に乗っていただいていたメンターの方にこう言われました。 「面接官はあなたの病気の詳細を知らないので、どういう病気か説明して、自分の考慮してもらうことをリスト化して、その上であなたをとることにどういうメリットがあるのか自身で説明しなければならない」。 メンターの人はメンタルヘルスの病気に理解がある優しい人だと思っています。

私は1つ前の記事にも書きましたが、思春期の頃引きこもった兄弟の面倒を見ていました。 自身がメンタルヘルスの病気になって、ワークシップなどで同じメンタルヘルスの病気の人と接することもありました。 また、病気になる前も、ITエンジニアをしていましたので、ITに携わってたら、メンタルヘルス的に落ちてしまう人、病んでしまう人はよくいるのでそう言う人と接することもありました。

私は、上であげた副業の上司も、メンターの人も優しい、色々考えてくれている人だとは思います。 ただ、もし自分が病気でなく、他の病気の人に何か言う時、自分は同じことを言うだろうか?と考えます。

私が思うこと(私がもし問いかける方であるなら)

(療養真っ最中の人でなく、医師に働けるといわれ仕事を探している人、仕事をしている人の話です)

2つの問いかけに共通しているのは、「病気がある、でもその上であなたの努力、あなたの利点が必要です」です。 これは、どういう理由があるにせよ、「病気である」というのが、一つのマイナス要素だと捉えられると思っています。 病気がマイナスである事実、それは病気のある本人が一番苦悩して、一番悲しんでることです。時にはまだ受け入れられていないことです。病気に費やした時間も本人の中でどうあっても肯定はできない、第三者には認められないと感じているものです。

それを突きつけられるか?やはりそこが躊躇します。 言ってる人はマイナスと言ってる気はないかもしませんが、病気のない人には聞かないことです。「あなたの事情を説明して、あなたがどう努力して改善しているか説明してください」はやはり、「病気はマイナス」と捉えてると聞く方は感じてしまうかもしれません。

私が今までメンタルヘルス的に落ちてしまっている人と接してきて思ったのは、そういう人に必要なのは「安心」と「安定」だと思っています。 なるべく安定した親身になりすぎない冷静な対応で、「1割の親切、3割の本人がしたいこと成長の試行錯誤をバックアップする気持ち、他は本人に任せる」だと思っています。

本人の意思を尊重する、本人の考え方を肯定することが大事だと思っています。 そういう人は結構真面目で頑張ってる人が多いので、本人を肯定して、安心して休める感じの雰囲気にすれば、あとは自分で試行錯誤しながら解決してくれると思っています。

今、頑張っている人に、「あなたが努力しないといられない環境」です、と突きつけるか。そこが迷います。

蛇足:正直自分が何かできるかと言うと、何もできなくて、完全に落ちてしまった人を前には、話を聞いて、とりあえず会ったからには一回は笑わせたいと、どうでもいいことをあれこれ言ってみてた記憶しかありません。

言わなければならないのはなぜなのか

私は、上であげた副業の上司も、メンターの人も優しいと感じています。 ただ、「仕事」と考えた時、「自分以外の人にも納得させられるよう合理的な理由が必要だ」と考える方かとは思っています。

「合理的」、社会は何を「合理」と考えるのでしょうか? 弱い人や家庭環境などでハンデキャップがあると、通常の仕事がこなせると医師や第三者に判断されても、取ることは難しいでしょうか?

「ビジネスの場」なので、個々の人の事情に優しくすることはできないでしょうか? 会社の経営を考えると、少しでも不安要素のある人は避けたいでしょうか?

多分、仕事をする上で説明しなければならないことではあると思っています。 でも色々な聞き方や接し方ができると思っています。 それは「感情的なこと」「無駄なこと」でしょうか?

「少しでも優秀な人を取りたい」その想いで、人々が淘汰されているだけのことなんでしょうか?

まだ答えも出ず、私は悩むことが多いです。

まとめ(私は今の状況をどうするか)

正直、いつも迷いながら生きてます。

今は、もし副業がまた病気が悪くなり契約が難しくなった場合、「私が病気を改善するためにしてる努力」をプレゼンテーションみたいに何かビジネス的に説明するのは避けたいと思っています。 正直、努力というかいつも頑張ってはいるのですが、「メンタルヘルスの病気は努力すれば良くなるのか、努力すれば安定するのか」というと、答えられない話で、ここを問われても、自分でここを突き詰めて考え行動するのは体調を悪化させ得策でないと感じています。 今回の副業の話は接客業なので、正直勤務契約上、もしうまくいかない結果になっても仕方ないのだろうと思っています。

私の考えは、私の目を通して、私の頭で考えています。 もしかしたら、社会は私の思ってるものではないかも知れません。人は私の思ってるような人ではないかも知れません。

人は誰しも未完成です。生きていく中で変わっていきます。

今は、ただそれぞれの人に接してみようと思います。人を変えようではなく、ただ自分の気持ちを言って、接してみようと思います。 不快に感じられたり、何も感じないかも知れませんが、もしかしたら、その人達に響くことがあるかもしれません。ただ、多分それは私は知らないと思います。10年後20年後かも知れません。

人に切り捨てられたら、普通にショックを受けると思います。ただ、自分の心を狭くしたり、自分を追い詰める努力をするよりは、上下があったり不安定になっても私は私の考えで自分らしく生きたいと思います。

ただ、そこまですぐ体調の上下が起きないよう、規則正しく身体的に安定した生活を心がけ、人を過剰には心に入れ過ぎない距離を置いてちゃんと線引きをしようと思いました。

間違っているかも知れない、偏屈になっているかも知れない、私の気持ちです。 読んでいただいてありがとうございます。

人の話をそのまま聞いてはいけないな、と思った話

経緯 (自己紹介)

私は、SE7年弱、Webエンジニア1年の人間です。 現在、絶賛メンタル的に潰れ中です。 性格が多分人から見ると感情的なのですが、理屈や理論にこだわる変なところがあります。

思春期の時に考えてたこと (人は本当の問題が分からない)

私は家庭的にちょっと色々ありました。 私が小学生くらいから兄弟が引きこもりました。 西暦2000年前です。当時はまだ、「メンタル」とか「引きこもり」とかそういう言葉は普及していませんでした。

私は、何となく時々扉越しに引きこもった兄弟と話をすることがありました。 その時代思ってたことです。何となく色んなことを考えて生きていたんです。

人生がつまらないの解決方法は

高校生とか思春期真っ盛りの頃でした、時々友達は「人生がつまらない」「何で生きているだろう」と言いました。 言う人はまちまちです。ただ社会人になってから出会う、辛いことのある人でなく、ただの高校生の言葉です。

その高校生や中学生時代に私が考えていたのは... 「話は内容を理解しないと回答ができない」でした。
「人生がつまらない」その言葉はどういう感情からの言葉なのか考えていました。
「最近、何かつまらない、刺激がない」なのか「何か、不満なことがある」なのか。
「最近、何かつまらない、刺激がない」なら、かける言葉は「えー。そうなの。今度ここ遊びに行こうよ!」です。
「何か、不満なことがある」なら、かける言葉は「何かあった?」です。
人は自分の問題を正しいピンポイントの言葉で表してはくれないんだなと思いました。 それは、意地悪とかでなく、どうも本人も分かっていない、そして私もそういう人間なんだ、と思いました。

SEの時潰れてた理由

私は大人になって、SEになりました。
そして潰れました。技術が分からなかったんです。

高校、大学でコンピュータ技術、プログラミングについて学びました。 会社の人は「大学で学んだことなんて役に立たない」と言いました。「本も資格も役に立たない」て言いました。
だから周りの人の言うことから技術を学ぼうとしました。

結論から言うとそれは失敗で、見事に潰れました。 周りの人は技術について、皆んな違うことを言いました。(今、本を読んだり色々勉強して分かったのですが)誰もが自分の理解で動いてました。 そして人はいつも、きちんと話してくれるわけではありません。

  • 時間がない
  • 機嫌が悪い
  • その人の理解が変わった

その時の状況により、言葉たらずになったり、全然違うことを言ったりしました。

また、人は自分の知識を正しいピンポイントの言葉では表してくれないし、自分の言ってることが他の人と違うことも認識していない場合もあります。 そう、結構高校生の時思ったことと似たようなことでした。

何回か、何年か掛けて潰れ、本や資格により勉強することで、私はこの問題をクリアしました。

今、潰れている問題

私はWebエンジニアになりました。何となくWebの技術の方が性に合っていたので、 SEより自分が伸びそうな方向に進みました。

Webエンジニアのスタートアップの会社にジョインし、1年経ちました。 会社がジョインした当初より初学者の技術者が中心の開発になりました。
そこで問題になったのは、チーム内のコミュニケーションを取らないので、

  • コードが後で変わりバグになったり、
  • 他の人と同じコードを作ってて、後でコンフリクト(衝突)してて削除して、効率が悪い

などのことが起こりました。上司に問題提起し、私が改善案を出すことになりました。

私は、まず問題の認識(現状把握)をしようと、チームメンバーにヒアリングしました。 ただ....

  • 最初は、これが問題とうなづいてくれたのに、後から違うことを言う。
  • ここが問題と出したかと思うと違うことを言う。
  • 明らかな問題を抱えてるのに、「何も問題ない」「自分はこのままでいい」と言う。

その繰り返しで、話が長期化し、何度か解決案や、必要そうな情報を書いて周知してみたのですが、何もできませんでした。

潰れた理由は明確です。私は、もともと思春期から色々あった人間です。
理屈で考えられない、解決方法の分からない、そう言う問題にはとにかく弱い人間です。

そして、今回の話も同じでした。
言ってる人達が意地悪したわけでも、問題に対して消極的なわけでもなく、 「人は自分の問題をピンポイントに表してはくれない」、「気分や状況により言うことが左右する」。

結論?(今自分が思う解決法)

これらの経験から、私はどうするか、です。
人と話さない?そう言う解決方法もありますが、私は望みません。

私は、今、「人に話は聞く。でも話の主軸や問題解決は、本などの知識、問題解決技法などによって行う」を今後取ろうと思っています。
人の話だけでは解決できない。だから問題の解決方法、技法の本がある。知識や技術がある。このことが今まで分かってませんでした。

私は弱い人間です。感情的な人間です。
でも自分もそう言う人間だし、人もそう言う人間です。
色んなことを考え、色んな知識を知り、今後も自分のこと、人のことを考えていきたいと思っています。

ただの私の人生観です。読んで頂きありがとうございます。